海に潜って半世紀。
そのうちインストラクターとして海を案内することがほとんどです
現在67歳、もうすぐ68歳。
スクーバダイビングは18歳から始めたので50年になります。
当時はスクーバダイビングなんて誰にでも出来るなんて思っていませんでした。
テレビや映画で見る海の世界、特別な専門家しか出来ないことと信じて疑っていませんでした。テレビでは世界中の海を見せてくれる『驚異の世界』って言う番組にかぶりつき、堺正章さんが楽しくナレーションしてくれる『まちゃあき海を行く』って番組も鉄板でした。これらはノンフィクションでしたが、『わんぱくフリッパー』なんて言うアメリカのイルカをメインにしたドラマも外せません。きっと同世代のかたは『知ってる!』って思っていることでしょう。
でもこんな世界を自分が体験できるなんて本当に思っていませんでした。
小さい頃から父親に川や海へ釣り連れて行かれ、海水浴は大好きでした。
小学校のプールの授業が大好きで中学にはプールが無かったのでとうとう高校では水泳部
ここから今までほとんど水のある生活。そんな状態で大学には行ったらサークル勧誘で”ダイビングサークル”の勧誘が…それは入っちゃうでしょう。
…と言うことでそこからダイビング生活の始まり始まり…!
さてダイビングサークルに入ると早速ダイビング訓練が始まります。今のようにダイビングプロショップが普通にあるわけではないので、先輩たちがカリキュラムに乗っ取り指導してくれます。今にして思えばそのカリキュラムはアメリカの”NAUI”というスクーバダイビングの指導団体のプログラムでした。だから元のプログラムはしっかりとしたものだったのです。実技のトレーニングというと、最近やっていた”海猿”って映画見ましたか?
その中での訓練風景を見て、すっげー特訓、とか厳しい訓練なんて思った最近のダイバーの方もいたようですが、昔はそれが普通でした。幸いにも僕は水泳部だし、水が好きで海でも遊んでいたものですから、あまりストレス無く当たり前に出来てしまっていました。先輩たちには『楽に出来てしまってはなめられる!』とどんどんハードな内容をさせられましたが、そんなこと知ることも無く普通にこなしている僕は他のみんなとは違ってかなりハイレベルな新人になっていたようです。
それヵら1年の1/3は沖縄で合宿と合わせた沖縄滞在で潜り三昧。
もちろんその為にはかなりハードなアルバイト生活。
しかも本来がっつりバイトしたいのですが、スイミングスクールのコーチなんてしており、午後から夕方の時間は全てプールに束縛!これはこれでインストラクター経験のために充実していました。この当時は多くのスイミングスクールが出来るブームで学生バイトなのに新しいプールの立ち上げスタッフとして正社員コーチの指導もしていました。
だから稼ぐバイトは早朝か深夜。朝から学校に行って睡眠学習する状況。おかげで出席は問題無く試験は集中力で乗り切る感じ、更に教職課程までとって単位目一杯。
これらを乗り越え夏と春の長期のお休みは沖縄でした。
そんなスイミングやダイビングづけの3年間、海だけで無くダイビングの知識ももの凄く勉強していました。潜る経験だけで無く、関東学生潜水連盟主催のフリッパー大会では学生記録作るほどのアスリート。ダイビングに関しては文武両道でした。
そして4年生の1年間は日本で最大の潜水プールを持つスポーツクラブのインストラクタースタッフとしてプールに海にとダイビングづけ。
まさにダイビングインストラクターになるための4年間でした。
そして卒業以来今まで約50年間現役インストラクターとして活動しています。
初めて潜った時と変わらず『海って凄いなあ!』って思っています。
世界最大の魚類”ジンベイザメ”やもの凄く大きな”クジラ”なんてみたら大興奮しちゃいます。そんな海の素晴らしさを経験した事のない方を海に案内することは本当に自分の天職と疑いません。どうでしょうか、海をご案内しますよ!
※大学卒業から現在迄のインストラクターとしてのキャリアは別記事で報告しますのでお待ちください。
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